NPO法人「みやざき子ども文化センター」で働く長谷川岳子(たかね)さんは、北海道で生まれた。
中学校の時、親の転勤で、東北の仙台に移った。
高校を卒業してアメリカに留学した。
6年後に帰国したとき、親が宮崎に転勤していた。 帰るところは、宮崎しかなかった。
宮崎は、サミット開催前だった。 ホテルで、英語が話せるバイトを募集していた。
バイト代は高かった。お客様を待っているだけでも給料はもらえた。
でも、ホテルの仕事をするために帰国したんじゃないと思った。
経験はなかったが、音楽、イベント関係に興味があった。
「みやざき子ども文化センター」に行ってみたらという人がいた。
行ってみた。
いきなり、2002年の「まちんなかプレイパーク」のコーナーを任された。
それが、みやざき子ども文化センターとの出会いだった。
その後、ホテルのバイトは辞めた。
他のバイトもしたが、「安定したい」と思い、バイトではなく、就職しようと思った。
ハローワークに行ってみた。ピンとくるものがなかった。
次は「必ず見つける!」と思い1週間後、もう一度、ハローワークに行った。
「みやざき子ども文化センター」の募集があった。
宮崎市の緊急雇用対策事業で、2003年7月〜12月の期間限定だった。
安定を重視するか、やりたい事を重視するかを迷った。
ハローワークの職員からは、最初は契約社員でも、正社員の道がある方をすすめられた。
たとえ「期間限定」でも、「子ども文化センター」の仕事がしたかった。
したいことができる場所、そこがNPO法人だった。
会社だったら、上司の指示で動く。そこでは、企画段階から参加できた。
疑問に思うことを口にしても、イヤな顔をされなかった。役員が、一緒に考えてくれて、解決していった。
2004年1月、長谷川さんは、みやざき子ども文化センターに雇用された。
緊急雇用対策事業での雇用期間中は、「キッズ・アートコーディネータ養成講座」
「子どものための舞台芸術作品集」の事業を担当したが、今度は、団体内のいろんな事業に関わるようになった。
事業が多くて、大変だねと回りから言われていた。そんな長谷川さんが変わったのは、「ママパパネット」を担当して、宮崎方式を思いついた時だった。
「ママパパネット」は、乳幼児の保護者向けの電話相談(ママパパライン)を受けていたNPO法人子ども劇場全国センターが、インターネットで子育て支援はできないかと考え、独立行政法人福祉医療機構の助成を受け、全国で1箇所だけ、実験を行う事業だった。
チャイルドライン、ママパパラインの実績が評価され「みやざき子ども文化センター」に打診があった。
引き受けることに決まった。担当は長谷川さんになった。
長谷川さんは、事業のイメージがつかめなかった。
小さい子どもを持つ友達、子育てサイトを個人で開設している人などに聞いた。
また、友達の保健師にも聞くと、携帯メールで、相談を受けている同僚もいるようだった。
ニーズはある。
でも、電話相談の延長で、メールで相談を受けるだけでいいのか。
メールがこない時、待っている間はどうするのか。
電話ではなく、インターネットでの子育て支援をする意味は何なのか?
インターネットのメリットは、時間を越えていろいろな人がつながる事が出来ること、
そして、「自分から情報発信をする場」でもいいと思った。
ママパパネットの運営に関わるボランティアの呼び名も、「受け手」から「応援隊」に変えた。
こうして、「ママパパネット」が「期間限定」でオープンした。
登録会員は200名を超えた。アクセスが多すぎて、システムがダウンするほど反応は大きかった。
各コーナーに複数の応援隊をつけて、いつも情報が掲示されるようにした。
「おとうさんのコーナー」をつくってママもパパも参加できるようにしたのが良かった。
ネット上の会話を前提にしたサイトだったが、
一方的にしゃべる場があってもいいのではと思い、「つぶやく」コーナーなど、ニーズやサイトの動きを見ながら追加した。
ママパパネットが終わって、残念という声を聞く。
長谷川さんは、「期間限定」だから、集中できたと思っている。
次は、どんなことを始めるのだろうか。
長谷川さんは、「自分がやってみたいこと・体験したいこと」を企画にする。
今は、去年から始めた、都井岬での自然体験教室を継続的に実施したいと意気込んでいる。
残された大自然ではなく、人間の営みも織り込まれた自然環境。
それが、都井岬の魅力だという。
北海道生まれの長谷川さんは、宮崎で、きっと、お気に入りの自分を見つける。
(取材:「街・元気」事務局S)
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