NPOで働く人々シリーズ@


  「ミッションへの掛け橋」 野崎 佳代子

 生物学を専攻し、学生時代に「ウミガメ研究会」にいた野崎佳代子は、
就職する時、企業、行政より、できたらNPOがいいと思った。

 ハローワークに行った。
NPOでは検索できないと思い、「サービス業」にした。
映画館があった。社名欄にNPO法人という文字があった。
やった!と思った。


   


 面接と小論文を受けた。宮崎文化本舗に採用された。
NPO法人に就職できてラッキーだと思った。
2年間は、夢中で仕事をした。


   


 3年目に、NPOインターンシップでアメリカに行った。
サンフランシスコで、低所得者向けに住宅をさがすNPOだった。
NPOとして、仕事のしやすさが格段に違った。

 アメリカでは、企業、行政と並ぶセクターとしてNPOが認められている。
NPOセクターに関わる人たちに、共通のミッションを感じた。
言葉にすれば「ソーシャル ジャスティス」。
でも、和訳して漢字にするとニュアンスが違う。

 日本に帰って1ヶ月はハイだった。
それから、壁を感じた。
宮崎のNPOは、自分たちの活動は一生懸命やる。
でも、NPOに共通のミッションが見えない。
日本人はNPOを必要としているのかさえ疑問に思い始めた。

 NPOを仕事にした野崎佳代子は、
お金儲けのために働いているのではない。

 「13歳のハローワーク」で村上龍は語る。

 『従来の公共団体では対応できない問題が増えている。
  政府、自治体の財政は最悪で、これまでのサービスを続けることもむずかしい。
  日本の NPOの現実が悲観的で、今後、人材が育つ保証がないにしても、
  NPO以外に対応できる組織はない。
  このままNPOを消滅させるわけにはいかない。』

 日本のNPOで働く人々の現実は厳しい。
求められるものは大きく、与えられるものは小さい。

 NPOでも民間でも、仕事にする人の責任は重い。
ボランティアで、好きなことだけ関わる人との距離は遠い。
問題は、この間に立つ人が宮崎には少ないということ。

 宮崎初のNPO講座を担当した山岡義則は語る。
 これまでは、「どっぷりNPO」「とことんNPO」でないと
やってこれなかった。
 これからは、「ちょっとだけNPO」「思いついたらNPO」
という人にたくさん加わってもらう必要がある。
(『NPO実践講座2』ぎょうせい)

 「オレ流」のNPOとの関わり方を持つ宮崎人が現れるとき、
野崎佳代子の前に「ミッションへの掛け橋」が見えてくる。

                       後姿でごめんなさい ( ^.^ _ _)