コミュニティビジネスレポート

「こんな面白いシンポは初めて!」

 前編(H17.3.5 宮崎市民プラザ)

宮崎県コミュニティビジネスシンポジュウム

宮崎県のコミュニティビジネスの可能性を探る

 ■日 時  平成17年3月5日(土) 13:00〜16:00
 ■場 所  宮崎市民プラザ 大会議室
 ■主 催  宮崎県

     

 

 

  

○基調講演「コミュニティビジネスの現在・未来」
  中村 陽一氏 
  (立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科 教授)

○パネルディスカッション
  「CBの可能性や取り組み事例について」
  コーディネーター: 中村 陽一氏(基調講演者)
  パネリスト : 松村 一芳氏

         (NPO法人 ネイチャリング・プロジェクト代表理事)
          秦 千恵美氏

         (里の駅・ふるさと茶屋夢のぼり 施設代表) 
          武田 英郎氏

         (社会福祉法人「いつか会」会長)
          石田 達也氏

         (NPO法人 宮崎文化本舗 代表理事)

○レポート第1弾

講演がありパネルディスカッションがある。

講演の講師がコーディネーターを務める。そんな、ごく普通のシンポジウムが、3月5日(土)に宮崎市であった。             

宮崎で、自治体主催のシンポジウムといえば、県外の、ある程度、名の知られた大学の先生を講師に呼ぶ。
 講演は、それなりにおもしろい時もあるが、パネルディスカッションになるとガタガタ。パネラーが多すぎたり、コーディネーターがしゃべりすぎたり、県外のパネラーと県内のパネラーが全く話が合わなかったり、居心地の悪い思いをしてトボトボ家路をたどるのが常だった。


                       

 ところが、3月5日の宮崎県コミュニティビジネスシンポジウムは、パネルディスカッションが本当におもしろかった。

 パネリストは4人。
お隣の鹿児島県で、コミュニティビジネスセンターを運営している松村一芳氏。
これもお隣の大分県で、ふるさと茶屋「夢のぼり」の代表を務める秦千恵美氏。
宮崎県で、福祉という冠を外してコミュニティビジネスを展開する武田英郎氏。
映画館を運営するNPOとして全国的な注目を集める宮崎文化本舗の石田達也氏。

 コーディネーターは、基調講演の講師を務めた立教大学教授の中村陽一氏。
パネルディスカッションになったら、急に、話がくだけてきた。
いきなり、今日のパネリストは、かなり「あやしい」雰囲気と言う。聞いている方は、何をやっている人たちなんだろうと興味を引かれた。

中村 陽一氏

松村 一芳氏

秦 千恵美氏

武田 英郎氏

石田 達也氏

鹿児島の松村氏は、見るからにあやしげな風貌。
ところが、基調講演でコミュニティビジネスの概念を整理してもらったので、話がしやすくなったという滑らかな滑り出し。

 鹿児島でNPOのサポートセンター事業をやっているらしい。あの山岸さんと横の連携があるという。
 社会企業家を育てる。人材を発掘して、社会に供給する。想いだけではやっていけない。マネジメントもキッチリ。

 大分の秦さんは、いきなりパワー全開。
声の大きさと、満面の笑みで会場を圧倒。

 人口1838人。交通事故は、7700日連続無事故達成。商店街も何もない。そんな村に嫁いできて、寂しい思いをしていた。

 ある日、回覧版で、中山間地域活性化事業で食堂をつくる話が。応じたのは女性3人。説明会から開業まで1週間。村の人が集えるお店がほしいと思ったが、県道から2kmはいった場所にあり、途中には、民家が1軒もない。

 おもしろメニューを考えて、一度来たお客さんに、また来てほしいので、てんこ盛りの大サービス。ターゲットは村人のつもりだったけど、半分は村外の客。リピーター率は7割になった。

 村内で製造したものを委託販売していたが、売れないからといって返したくない。素人がボランティアで始めた事業だが、ボランティアでは継続できないと思い始めた。

 次は、宮崎県内から、福祉作業所でレストランを経営する武田さん。
 最初はお断りしたのですがという出だし、何を話すか考えてきませんでしたと言われ不安になる。
 ところが、しっかりネタをしゃべってくれて爆笑。真面目な風貌とのギャップに、机を叩いて喜んでしまった。(ネタの中味は、今度聞く人のために封印)

 奥さんが、15年前から、知的障害者の福祉作業所をやっていた。昭和62年に、自宅を改造して、2〜3人の作業所から始めた。自分は信用金庫に務めていて、夜遅くまで「営業」していた。

 それが、胃癌になり手術。退院して、会社に戻ると仕事が山積み。このままでは、癌ではなく、仕事に命を取られると思い、退職を早めた。

 奥様が綾で修行して始めた織物の「いつか工房」のほかに、レストラン「アンジュール」、そば屋の「有一天」もオープン。ほんもの手打ちそばを、年間通じて提供できるよう産地を回った。宮崎県の新富町産のそば粉を使うことにした。素材だけは「ほんもの」にこだわった。

 そば屋では、地元の産品を委託販売する「箱ショップ」をやっている。海洋高校の校長先生に頼み込んで、実習品を常時販売する唯一の店舗になった。

 レストラン「アンジュール」の2階から4階は知的障害者のグループホームになっている。宮崎市の補助事業となっているが、補助対象の定員は5名のまま。希望者が増えてきて、現在17名を受け入れている。「補助金の枠」を越えてやらないと、利用者(障害者)のための事業はできない。

 ここで、コーディネーターの中村教授から、当事者発の社会的起業ですねと声がかかる。講演での理論整理はわかりにくかったけど、実例が出ると、ストンと落ちる。これも、典型的なコミュニティビジネスなんだと素直に思える。

 最後のパネリストは、ご存じ、宮崎文化本舗の石田達也氏。自分が一番「あやしい」とアピール。
 NPO法人で映画館を経営。税法上は収益事業だが、NPOとしては本来事業。人と人とのネットワークをつくる事業だと思っている。そこから、文化事業の事務局代行をやろうということになった。
 現在は、行政からの委託事業が増えて、正社員10名、パート5〜6名を抱えており、本来の映画館がおろそかに
なりがちだと思っている。

                    

石田さんの話を受けて、中村教授が、19歳、20歳の頃、映画の世界で働いていたことを告白。今回、宮崎文化本舗を訪問するのを楽しみにしているとのこと。宮崎には縁のなさそうなコミュニティビジネスの話が、しだいに、身近なものに感じ始めた。

 パネリストの発言がひと回りしたところで、今度は、何がきっかけでコミュニティビジネスを始めたか、中村教授が質問。

 鹿児島の松村氏は東京出身。広告代理店で、コカコーラのCM制作に関わっていた。36歳の時に体調を崩して仕事から離れ、奥様の影響で自然農法の世界へ。

 まとまった資金があったので、自分で農園を始めることにした。でも、予算の範囲内で土地が買えそうなのは、北海道か九州。北海道は雪が降るから、作物は3ヶ月勝負になる。リスクが大きい。
 鹿児島の物件を紹介してくれる人がいて、土地を買った。当時は、オウム真理教が社会問題化しており、信者が移住してきたと思われた。

 関心を持たれたのがきっかけで、地元との交流が始まった。土づくりを教えると、さすがは農業のプロ。市場に出せない規格外の「いい作物」をつくる。営業はできない人たちなので、松村さんが、病院などの大口契約でさばいた。

 やがて、みんなから販売を頼まれ、法人化を考えるようになった。農業生産法人かNPO法人。でも、営利法人にすると「魂を売る」ことになるので、NPO法人を選択。

 大分の秦さんは、いきなり営業のノウハウから。
「悪いことは言うな。良いことは8人に伝えて」と言うと30人のお客さんが240人になる。(秦さんに言われると素直に伝えてしまいそう。)

 事業は忙しくなった。もう時給(?)200〜300円のボランティアではやっていけない。

予告なしに、時給を650円にした。メンバーの意識が変わった。
時給650円で回っていくためには、どうしたらいいか、各自に問題提起した。

 宮崎の武田さんは、退職金をつぎこんでビルを買った。不足分は、NPO法人で借金した。
当時の福祉作業所は、賃金(?)が3千円だった。1日ではなく、1月で3千円だった。
福祉作業所といえば、郊外でやるものと思われていた。

 ノーマライゼーションからいえば、街中に出るべきだと思った。 一般の人と交わる方がいい。
元の職場の近くのビル。ワンコイン、500円でランチを出す。
子供たちの親戚が来るのではなく、一般の人も行きたいと思う店にしたかった。

 一律の賃金をやめて、月1万円〜3万円と差をつけた。
子どもたちも、やりがいを感じて、明るくなった。
街中だから、ジャージは禁止。女性はお化粧もする。

 いつか、子どもたちが、自分たちの力で暮らせるように「いつか工房」だった。
レストラン「アンジュール」は、フランス語、レストランのケーキをつくる「アルガンディア」はスペイン語、
そば屋の「有一天」は中国語で「いつか」という意味。

 宮崎文化本舗の石田さんは、留学先のバージニアビーチ市が宮崎市の姉妹都市になったこともきっかけになった。
そして、1億円でスティングを呼んだシーガイアから、会場料を無料にするから映画祭をやらないかと言われた。
毎年、前年以上のものを求められプレッシャーになった。

 NPO法人は、映画祭とは違う。文化事業のマネジメントができないかと思った。
初めての「事務局代行」は、月3千円で引き受けた。その代わり、儲けは折半。
数十万円の利益を手にした。(その後、事務局代行で儲かったという噂は聞かない。)

 NPO相互のネットワーク、ゆるやかな関係がほしいと思い、「NPOハウス」を始めた。
県の企業局の独身寮が入居者ゼロになった。維持費は、年間3百万円かかる。
NPOに安い家賃で貸せば、民間主体のインキュベーション(孵化)施設になる。
1年間かけて交渉し、NPOに又貸しする不動産屋になった。

 中村教授は語る。お金をどう使うかがポイントだ。退職金を事業につぎこむ。
健康に投資する。パネリストのみなさんは、ポジティブ志向だ。

 全国で事例を話すと、その反応で、やる気がわかる。
すぐに、視察に行こうと言う人もいる。
そこだからできた。ここでは無理だと言う人もいる。

 今度は、事業を運営する上で大事にしている「こだわり」を、
企業秘密にふれない程度に話してほしいという注文が出た。

 松村氏が、いきなり、企業秘密を本邦初公開すると言う。

 ここで、前編は終わり。後編で、パネリストの「成功の秘密」が明かされる。

                                  【レポート:街が元気だネット!事務局S】